Research — Narrative CV
人生の意味の
エンジニアリング
身体と心(自己)の深い理解に基づいて、身体変容と物語的自己(narrative self)の変容をデザインすること。ひとことで言えば「この世は生きるに値する」と言える瞬間を、どうつくるか。
僕は東京大学大学院情報学環の助教として、バーチャルリアリティ(VR)やアバター、メタバースといった技術を研究しています。主に、人とコンピュータの関わりをデザインするヒューマンコンピュータインタラクション(HCI)という分野の研究です。ただ、僕がその中で一貫して関心を持ってきたのは、技術そのものより、技術に触れた人の「自己」に何が起きるかでした。姿が変われば振る舞いが変わり、やがて「自分は何者か」という自己認識まで変わっていく。この不思議に、情報理工学と人文社会科学とのあいだを行き来しながら、量的研究法・質的研究法の双方を自在に組み合わせて向き合ってきました。
この来歴は、実験室から現場へ、数字から言葉へという転回を経ています。根っこにあったのはひとつの問い——知りたいことを、知りたいように知れているか。以下は、その問いに引きずられて道を変えてきた物語です。個々の論文や実践には、本文中のリンクからたどれます。
出発点は、学部生の頃の素朴なモヤモヤでした。理系と文系という区切りが、高校からまるで呪いのようにインストールされていた僕は、理系に籍を置きながら国語が好きで、人の心についての講義ばかり履修していました。心理学、神経科学、哲学、情報工学……といろいろな学部を検討するがどれもしっくりこない。そんな中で出会ったのが、後に師匠となる鳴海拓志先生とバーチャルリアリティという研究分野でした。「工学部でも心の問題を考えてもいいんだ」という、ともすれば当たり前な——発見に雷に打たれ、VRの研究室の扉を叩きます。人の心を解明するサイエンスと、人の心を設計するエンジニアリングが、そこでは一つに溶け合っていたのです。
実験室の時代 — 身体が変わると、心が変わる
大学院では、アバターを通じた身体変容体験が人の知覚・認知・行動に及ぼす影響を実験室で調べ続けました。自分そっくりの分身と向き合ったDouble Shellf、幽体離脱のように自分を外から眺めることで心理的距離を操作したself-distancingの研究、隣にいる他者アバターがプロテウス効果や社会的サイモン効果にもたらす影響……アバターの外見の変化が人の認知や行動を変化させる様子を、いくつもの実験で追いかけてきました。二人の動きを混ぜ合わせて一体のアバターを操る融合身体の研究では、身体の技の伝達と「誰がやったのか」という主体感の謎に取り組みました。変身・分身・融合にわたるこれらの知見は、認知科学の教科書の一章にまとめられています。
袋小路と転回 — 数から言葉へ
けれど博士課程の終わりごろ、僕は袋小路に突き当たります。実験室のデータには明晰な有意差が出る。けれど効果量はしばしば思ったより小さく、「差はある、でもこんなもんか」と拍子抜けすることが続きます。「アバターでなりたい自分になるぞ」と息巻いていたはずが、なにかが違う、という絶望感。そのアバター体験がその人の人生にとってどんな意味を持つのかは、数字からは見えてこないのです。いま思えば、「研究とは実験することだ」という思い込みが自分でも気づかぬうちに強く効いていました。CHIやDISといった国際学会のコミュニティでは情報学の分野に当たり前のように人文社会科学者がいて、研究の方法論もさまざまなのに。VR学や日本のHCI分野では、何かを作るエンジニアリングの存在感が強く、またその経験の評価法は実験室実験が中心だった……という分野の「偏り」に気づいたのは随分後になってからです。博士課程の頃に訳も分からず本を読み漁り、ようやくこの思い込みに気づけたのは、質的研究法に出会えたからです。数を頼みとする実験だけでなく、言葉を、語りを相手にするインタビューやフィールドワークへ。いまでは、この方法論をVR分野に根づかせることが、僕のもう一つのライフワークになっています。
現場へ — 物語的自己の変容に立ち会う
転回のあと、僕は現場に出ました。外出困難な人がロボットを遠隔操作して働く分身ロボットカフェに2020年から通い続けるうちに、パイロットのみなさんが口々に語る言葉に出会います——「時間が動き出した」。寝たきりで止まっていた時間が、アバターで働くうちにふたたび動きはじめる。その一人称の語りから「アバターで働く」経験がアイデンティティを編み直していく過程を記述しました。他にも、人生のターニングポイントをメタバース空間として共創し、その場所を大切な人と一緒に歩きながら語り直す人生経験交換メタバース。そして北海道・浦河べてるの家では、幻聴・幻視の体験をVR/ARで表現して分かち合う当事者研究に加わりました。ここではVRやアバターといった技術は、仲間や家族と一緒にその体験を眺め、ときにユーモアで笑い合うといった対話のための「テーブル」です。近年では、メタバースに暮らす人たちの友情や自己表現にも、当事者へのインタビューによって明らかにする研究にも取り組んでいます。
いま — 語り直しの技術をつくる
これらの現場で目撃してきたのは、人が自分の過去・現在・未来の解釈——物語的自己——を語り直す瞬間でした。過去の事実は変えられなくても、過去の意味は語り直せる。そして人を支えているのは、実際に何ができるかより、「あれもできるかも、これもできるかも」と思える予測の束の豊かさなのです。この予測の束がやせ細るとき時間は止まり、ふたたび膨らむとき時間は動き出す。「この世は生きるに値する」という実感は、たぶんこのあたりに宿っているんだと思います。いまはJSTさきがけ「過去・現在・未来の再解釈を促す身体化インタラクションの創出」を核に、この語り直しを支える身体化インタラクションの設計論に取り組んでいます。並行して、人の注意や認知といった身体特性の理解に基づいて情報環境を設計する「セレンディピティの制御」、身体拡張技術を世界の現場へひらく国際ネットワーク「Enhancing Humanity」も動き出しました。
計算機の作り出す情報の渦が人間の意味を絶えず問い続ける時代、それでも現実を引き受けて自己の物語を紡いでゆく力が求められている。AIによって「何ができるか」の差が薄れていく時代には、むしろ「なぜやりたいのか」「そこにどんな愛を持っているのか」のほうが、生きる手ざわりを決めていきます。できることを増やす支援より、できなかった自分をも引き受けて、自分で自分を励ませるような「人生」を支えたいと思う。技術で人の心を「操作する」のではなく、自分で自分の人生を意味づけ直す力を技術と一緒に取り戻す。思えば研究とは本来、知ることそのものを歓ぶ態度(philosophy)のこと。力んでも湧いてこないその態度(ある意味ではそのような「身体」)をどうやって育むか。共同冒険者、募集中です。